機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」福祉のこころ 地域医療・包括ケアの現場から (37)

福祉のこころ 地域医療・包括ケアの現場から (37)local_offer

社会福祉士・精神保健福祉士 末吉重人

障がい者福祉について (1)

「障がい」と偏見

障がい者のことを「障害者」と漢字表記せず「障がい者」と、ひらがな表記されているのを多く目にすることと思います。その理由の一つに、漢字の「害」の字が「さまたげとなるもの、わざわい」(広辞苑)の意味があり、他人に害を及ぼす者というニュアンスの偏見を減らすために、「がい」を使うという意図があります(固有名詞には「害」を使う)。

また、障がい福祉の分野では、その歴史的経緯から、「差別」に敏感です。つまり、障がいがあるゆえに人間扱いされず、偏見と差別に晒されてきた歴史が長く続いたため、そのような時代を想起させる表現は使用しないという努力が行われているのです。

たとえば、「つんぼ」の表現はもう使わず「聴覚障がい」と言います。「おし」も使用せず「言語障がい」と呼び、「めくら」は「視覚障がい」、「びっこ・ちんば」は「身体障がい」になりました。ちなみに「片親」も使いません。「単親」か「ひとり親」です。「片」の字が「欠けている」との意味になるからだとされます。

こうした配慮は、聖書の翻訳でも行われています。例えば、口語訳初版では「すると大ぜいの群衆が、 足なえ、不具者、盲人、おし、そのほか多くの人々を連れてきて、イエスの足もとに置いたので、彼らをおいやしになった」(1954年版マタイ伝15章30節)となっていますが、新共同訳では「…足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人…」(1987年)になりました。

なぜ障がいは発生するのか

各地で勉強会を開催する際、「障がいはなぜ起きるのですか?」という質問を受けることがあります。筆者の結論は、よくわからないというものです。しかし、「支援を必要とする障がいを持つ人々がいるので、可能な限りの支援を行います」としか言えません。

ときどき、理由を「罪? 因縁のせい?」と述べる父母がいます。その含意には、非常に重いものがあり、安易に返答できません。確かに、そういう面があるかも知れません。他のきょうだい(かなで書くことですべてのパターンの兄弟姉妹を表す)や、先祖の因縁を背負った…と、その父母は言葉を詰まらせながら語ります。

筆者は、あえて言うようにしています。不幸になるために生まれた子女はいない、どの子女も幸福になるために生まれている。大人になって結婚をし、子女を生み育てる、天が与えた「三大祝福」を全うするために生を享けたと考えてみましょう、と助言しています。もちろん、父母はそのことはとうの昔にわかっていることでしょう。

かつてイエスが、弟子たちから目が不自由になる理由を問われたとき「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神のみわざがこの人に現れるためである」(ヨハネ伝9章1節~)と答えました。このエピソードも紹介するようにしています。